2014年12月17日水曜日

眼鏡発展の歴史



視覚は多くの情報を提供してくれますが、最も多くのトラブルに悩まされてい
る感覚器官でもあります。現代社会からもしも眼鏡が無くなれば、どのような
生活を強いられるでしょうか。読み書きに不自由し、車の運転もできなくなり
、日常の生活が困難となります。眼鏡なしでは、現代の高度な文明を築き上
げる事はできなかったでしょう。眼鏡には大きな文化史的な意味があります。






 紀元前、エジプト、ローマ、ギリシャの文明には視力補正用器具はまだあり
ませんでした。当時を物語る資料として、マルクス・トルリウス・キケロ
(B.C.106~43年)が彼の友人アティクスに書いた手紙に、老齢になって自分
では読書ができないために、奴隷に読ませて聞き取らねばならないことを嘆
いた諦めの告白があります。キリストの生誕後、ローマの著作家ガユース・プ
リニュウスは皇帝ネロが闘技者の試合をエメラルドを通して見物していたこと
を報告しています。この引用文からローマ皇帝ネロは近視で、凹型に磨いて
あるエメラルドを通して試合を見ていたことが推察できます。さらに、プリニュウ
スの本の中でネロは次のように言っています。「眼に対してエメラルドの色より
も快適な色はない。エメラルドは眼の疲れを回復させ、エメラルドの快い色は
視力を強化する」。皇帝ネロがエメラルドを用いて太陽の眩しい光を防ぐように
していたという別の記述もあります。古代においてもレンズは知られていたよう
ですが、屈折異常の矯正の為よりも、景色に色をつけて見る為に用いられてい
ました。



 古代中国においては、多くの物が古代ヨーロッパ
よりも開発されていましたが、眼鏡の開発に関して
はそうではなかったようです。中国人は、2000年前
より眼鏡を用いていましたが、これは視力を矯正す
る為でなく、ガラスの中に存在すると考えられる空
想の力「YOHSHUI]が視力の弱い人を助けるという
理由から用いられました。グレーフによると、この石
はアイタイ石と呼ばれ、明るい色と暗い色の2種類
がありました。これ以外の目的として、サングラスと
しても用いられました。





 古代 エジプト人とギリシャ人は反射の法則を既に知
っていましたが、光学レンズの作用については知らな
かったようです。ガラスは発火ガラスとして用いることが
できることも知っていました。プトレメウス(西暦85~169
年)が初めて入射角と反射角の法則を発見し、光学に
ついての最初の本を著しました。現在私たちが知って
いる屈折の法則は、スネリユス(1581年~1626年)が
発見しました。


 

様々な資料より、最初の眼鏡は13世紀末に現れていて、それまで眼鏡は発明されて
いなかった、と考えられています。・・続く(参考図書 :W.POULET /ATLAS ZUR GESCH
ICHTE DER BRILLE)